プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界

記事量が膨大になったので分割独立させました

【ブラックメタル出身】 VED BUENS ENDE…(ノルウェー)

Written in Waters

Written in Waters


(デモ『Those Who Caress The Pale』フル音源プレイリスト)'94

(『Written in Waters』フル音源)'95

いわゆるアヴァンギャルドブラックメタルを代表するバンド。唯一のフルアルバム『Written in Waters』は、ノルウェー・シーンが生み出した最高の達成の一つというだけでなく、90年代のあらゆる音楽ジャンルをみても屈指の傑作です。音楽性がマニアックなこともあって一般的な知名度は絶望的ですが、知っている人からは極めて高く評価されるバンド。そういう意味ではCONFESSORに通じますし、それに勝るとも劣らない実力者と言うことができます。

VED BUENS ENDEの音楽性を一言で表すのは困難です。「Eric Dolphyのような現代音楽に通じるフリー寄りモードジャズをAMEBIXと組み合わせてブラックメタル化したもの」とか「KING CRIMSON〜VOIVOD的な音遣いとノルウェー特有の音進行を混ぜ合わせて独自の暗黒浮遊感を生み出したもの」と言うことはできますし、実際そういう要素は含まれています。しかし、音遣いや演奏表現の混沌とした豊かさはそうやって括れるレベルを越えています。ギターの奇怪なコードワークも、極めて闊達なベースラインも、ブラックメタルの特徴を備えながらも定型に回収されないアイデアに満ちていて、しかもそれらが複雑に絡み合うことにより、(それこそモードジャズのように)偶発的な広がりとまとまりを両立した音進行を生んでいるのです。そして、それを装飾するドラムスも強力です。CONFESSORのSteve Sheltonにも並びうるジャズ・ロック型の達人で(John BonhamLED ZEPPELIN)〜Neil Peart(RUSH)ラインの最高位という感じ)、パワーとスピードを両立する音色も、複雑で多彩なフレーズも、比類なく優れた個性を持っています。こうした鉄壁のアンサンブルを飄々と乗りこなすボーカルも味わい深く、音楽全体に不穏な柔らかさを付け加えています。作編曲も演奏も、他では聴けない異様な魅力に溢れているのです。

VED BUENS ENDEのメンバーは
Carl-Michael Eide(aka. Czral)(ドラムス・リードボーカル)(VIRUS・AURA NOIR
Vicotnik(Yusaf Parvez)(ギター・歪みボーカル)(DODHEIMSGARD / ex.〈CODE〉)
Skoll(Hugh Steven James Mingay)(ベース)(ARCTURUS / ex.ULVER)
の3名。全員がノルウェー・シーンを代表する名人で、卓越した演奏表現力と個性的な音楽性を両立する達人揃いです。こうしたメンバーにより繰り広げられるアンサンブルは、一般的なブラックメタルの速く単調なものとは大きく異なる、ゆったりしたテンポで不定形に変化し続けるもので、この点について言えばメタルよりも60年代付近のジャズに近いかもしれません。仄暗く抑制された空気感はLennie TristanoLee Konitzなどのいわゆるクール・ジャズに通じますし、全パートが状況に応じてリードにもバッキングにもなる展開は、WEATHER REPORTなどと比べても見劣りしない“均整のとれた自由度”を勝ち得ています。こうしたアンサンブルが、ある種の暗い美意識に基づいて緩やかな変容を繰り返す(枠と広がりを両立する)さまは、本質的な意味において“ジャズ”に通じるもので、所属するシーンは異なりますが、そちら方面のファンにも聴かれなければならない達成なのではないかと思います。こうした演奏表現ひとつ取ってみても、ジャンルを越えて評価されるべき高度な旨みを持っているのです。

また、演奏表現だけでなく、音遣いや作編曲も不可解な謎に満ちています。ノルウェー・シーンで培われつつあった黎明期ブラックメタルの要素が土台になっているとは思うのですが、それがモードジャズ的な“外れることを恐れない”付かず離れずな展開で表現されることにより、それまでのブラックメタルには存在しなかった不思議な音進行が多々生まれているのです。
(60年代のモードジャズが「黒人音楽のブルース感覚を(近現代クラシックの複雑な和声感覚なども援用して)浮遊感あるかたちに拡張していった」ものなのだとすれば、VED BUENS ENDEの音楽は、ノルウェー・シーンに至る過程で生まれていった固有のブルース感覚を改めてモードジャズ的に料理したものだと言えるのかもしれません。)
(そういうこともあってか、アヴァンギャルドで不気味なコードに注目するよりも、ブラックメタル的な“引っ掛かり”感覚を足場として聴いた方が理解しやすいものなのだと思います。)
このような音遣い感覚は、多くのブラックメタルにおいて前面に押し出されている“ストレートに沈み込む”“大声で嘆き続ける”ものとは一線を画しています。どこか曖昧で定まらない印象を持ちながら、落ちきることも浮ききることもなく揺れ漂っていく。こうした“フラットに揺れる”進行感が、どこか脱力したボーカルや霧のように肉感の乏しいギターによって形にされることにより、「薄靄のようにぼんやりした不安が少しずつ形を成していく」さまが描かれているのです。
(ヒリヒリする焦りの感覚はあるけれども、切迫感というのとは異なる。言うなれば、“冷たい泥水に浸かりながら、体温が失われていくのを他人事のように感じている”ような感じ。“朦朧とした意識のなかで遠くの危機を微かに知覚している”というふうな趣もあります。全編が危険な柔らかさに包まれているのです。)
独特のリズム構成もこのような印象に貢献しています。例えば1曲目「I Sang for The Swans」に出てくる13拍子など。こうした変拍子は、「速い展開の中で急な躓きを仕掛ける」よりも「ゆったりした流れの中で一瞬の立ちくらみを誘う」もので、統合不全のプレ・ブルースに通じる緩やかな“字余り”感覚を持っています。基本的には4拍子(3連)系の落ち着いた構成の中に時折このような“揺らぎ”が現れることにより、先に述べたような“フラットに揺れる”進行感が一層強化されているのではないかと思います。

VED BUENS ENDEのこのような音楽は、このシーンのこの時期にしか生まれ得なかったものなのではないかと思われます。Vicotnikがインタビュー(http://www.mortemzine.net/show.php?id=3634&il=6)で「'91〜'93年頃の“競い合う気風”が90年代中期に至る音楽的豊穣をもたらした」と述べているように、黎明期のノルウェー・シーンには「深い表現力があれば音楽的には何をしてもOK」という風潮がありました。刺激を与え合いながら互いを出し抜こうとする姿勢があり、それが良い循環をもたらして、数々の個性的な名作を生んでいったのです。VED BUENS ENDEの『Written in Waters』('95年発表)はそうしたシーンの勢いや混沌とした豊かさを真空パックしたような作品で、早熟の天才たち(17〜20歳)の技術と情熱が最高の環境のなかで発揮された傑作なのではないかと思います。このような意味において、KING CRIMSONの『In The Court of The Crimson King』やCYNICの『Focus』にも並ぶ、“偉大なる1stアルバム”と言える作品なのです。

また、とかく『Written in Waters』ばかりが語られがちなVED BUENS ENDEですが、前年('94年)に発表されたデモ音源『Those Who Caress The Pale』もそれに見劣りしない傑作です。フルアルバムと比べ一般的なブラックメタルの要素が多めな作風ですが、独特の高度な音遣い感覚と卓越した演奏表現力はこの時点で殆ど確立されており、好みによってはこちらの方が楽しめるかもしれません。アルバムにも収録される「The Carrier of Wounds」「You That May Wither」は(細部のコード処理などは異なるものの)この時点でほぼ同じアレンジで演奏されていて、「あの独特の音楽性は意図的に生み出されたものなのだ」という確認をすることもできます。作品の凄さも資料性の高さも相当のもの。ぜひ聴いてみてほしい傑作です。

以上の2作を発表したのち、VED BUENS ENDEは'97年に解散しました。CzralとVicotnikの間でエゴの衝突があり、互いの才能を極めて高く評価しながらも音楽的方向性をすり合わせることができなかった、というのが主な原因になったようです。各メンバーがシーンで高く評価され、様々なバンド・プロジェクトを抱えている一方で、VED BUENS ENDEとしては「時代の先を行っていて」芳しい評価を得られなかったということもあってか、このバンドの活動は次第にフェイドアウト。その後'06年に一度再結成を果たしますが、アルバムの制作作業において衝突し、再び袂を分かつことになりました。
(Czralのインタビュー(http://www.avantgarde-metal.com/content/stories2.php?id=88)によると、「Vicotnikがクラシック音楽寄りの方向性を進めてきた一方で、自分はブルース・ベースの方向性を進めてきた」「共作は凡庸なものにしかならなかった」というようなことが決裂の原因になったようです。)
Vicotnikの言によれば、「絶対とは言わないが、再結成はまずないだろう」とのこと。メンバーは現在も素晴らしい作品を生み続けていて、その点においては何も心配することはないのですが、VED BUENS ENDEというバンドの歴史について言えば、このまま永遠に閉じることになるとみるのが妥当なようです。
従って、冒頭で述べた「一般的な知名度は絶望的だが一部からは極めて高く評価されるバンド」という立ち位置は、これからも暫くは変わることがなさそうです。それもまあ仕方ないなと思える音楽性ではあるのですが、このような最高レベルの傑作が埋もれたままでいるのはやはり惜しいです。ここで知ったような方などは、これも何かの縁ですし、ぜひ何度か聴いてみて頂きたいです。繰り返し接するほどに深く惹き込まれ、他では味わえない感覚を開拓してくれる音楽。少なくとも10年は聴き飽きないことを保証いたします。