プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界

記事量が膨大になったので分割独立させました

【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り】 UNHOLY(フィンランド)

Second Ring of Power by Unholy (2011-11-08) 【並行輸入品】

Second Ring of Power by Unholy (2011-11-08) 【並行輸入品】


(1st『From The Shadows』フル音源)'93

(2nd『The Second Ring of Power』フル音源)'94

(3rd『Rapture』プレイリスト:1曲欠け・曲順ばらばら)'98

(4th『Gracefallen』プレイリスト:3曲欠け・曲順ばらばら)'99

'90年結成(前身は'88年結成)。フィンランドの地下シーンを代表する“知る人ぞ知る”名バンドで、一般的には「フューネラル・ドゥーム・メタルの雛形のひとつ」とされることが多いようです。しかし、音楽的にはそうしたジャンルから逸脱する要素が多く、個性的な曲想と強靭な演奏表現力は他に比すべきものがありません。活動中に残した4枚のアルバムはどれも類稀な傑作で、このような音楽スタイルが比較的広く受け入れられるようになった今でこそ聴かれるものばかりです。本稿で扱う全てのものの中でもトップクラスに優れたバンドなので、ここで知られたような方には強くお勧めしておきたいです。

UNHOLYはフィンランドで初めてコープスペイント(いわゆる白塗り骸骨メイク)をしたバンドのひとつで(BEHERITやIMPALED NAZARENEなどと並び)、初期はブラックメタルとして扱われることも多かったようです。曲のテンポ設定はドゥームメタル的に遅いのですが、ギターなどの音作りは“霧のように薄く漂う”軽いもので、伝統的なドゥームメタルの“重く量感のある”スタイルとは一線を画します。これはブラックメタルの多くが持つサウンド面の特徴でもあったため、コープスペイントを施し黒衣を身にまとう演劇的な出で立ちもあわせ、当時のファンジンはUNHOLYを「ブラック・ドゥーム」と形容することが多かったようです。
(前身のHOLY HELL名義で出した1stデモのタイトル『Procession of Black Doom』も、そういった形容をされる一因になっていると思われます。)

UNHOLYのこうした“肉体の重みを感じさせない”音作りは、同郷のTHERGOTHON('90年結成)やSKEPTICISM('91年結成)、そしてオーストラリアのdiSEMBOWELMENT('89年結成)といったバンド達も同時多発的に用いだしたものです。こういう音作り自体は地下シーンの低予算録音にありがちなものだったのですが、ドゥームメタル的な極端に遅いテンポで用いることにより得られる音楽的効果は新鮮で、それを肯定的に受け入れ活用する後続を生んでいきます。そうしたバンドの多くはブルース的な音楽要素を濃く備えておらず、クラシックや古楽寄りの“引っ掛かりの薄い”音進行を特徴としており、それを引き継ぐ後続の音遣い感覚も自然にそういうものになっていくのでした。また、こうしたバンドの音遣い感覚や“肉体の重みを感じさせない”音作りには荘厳で“葬送的な”雰囲気が似合うため、歌詞も含め、哲学的で厭世的な世界観がどんどん強調されていくことになります。このようにして生まれたのがいわゆる「フューネラル・ドゥーム」のバンド群で、ESOTERIC('92年結成)やMOURNFUL CONGREGATION('93年結成)のような強力なバンドの貢献もあって、BLACK SABBATHやPENTAGRAMからELECTRIC WIZARDやSLEEPに連なる(ブルース・ベースの)ドゥームメタルとは異なる音楽的傾向を形作っていくのでした。
ちなみに、こうした“葬送的な”雰囲気はいわゆる「デプレッシヴ・ブラックメタル」に通じるものでもあり、音作りにも共通点があるため、両ジャンルのファン層は重複する傾向があるようです。
そういう意味でも、UNHOLYの「ブラック・ドゥーム」的なスタイルは(BEHERITの名作『Drawing Down The Moon』('93年発表)などと並び)ある種の先駆けと言えるのではないかという気がします。

ただ、その「ブラック・ドゥーム」の先駆けとなったUNHOLYそのものは、活動当時に正当な評価を得ることができなかったようです。速いブラックメタルを求めて来た観客は遅いテンポに失望するばかりだったようですし、アルバムは常に賛否両論でした。2nd『The Second Ring of Power』('94年発表)などは、大手音楽雑誌『Rumba』で酷評されたばかりか、そのレビューを書いた担当者がSpinefarm Records(当時のフィンランドでメタルの流通を担っていた唯一の会社)の従業員で、UNHOLYの作品を取り扱わないように手を回したため、フィンランド国内では輸入盤でなければUNHOLYの作品が手に入らない、というような状況に陥ったことすらあるようです。そうした苦境もあってか、バンドは'94年に一度解散。'96年の復活までしばらく潜伏することになったのでした。

この解散期を挟んで、UNHOLYの活動は音楽的にも二分されます。前半('88〜'94年)は創設者Jarkko Toivonen(ギター)のワンマン期。そして後半('96〜'02年)が、Ismo Toivonen(ギター・キーボード)を中心とした、Jan Kuhanen(ドラムス)ともう一人の創設者Pasi Äijö(ベース・ボーカル)の3人による共同製作期です。

1st『From The Shadows』('93年発表)と2ndの曲は殆どがJarkkoの書いたリフからなるもので、それをバンドで繋ぎ合せて曲としての体裁に整える、というアレンジ方法をとっていたようです。
(1stはJarkkoとPasiの2人でアレンジ、2ndは4人全員でアレンジ。)
対して、3rd『Rapture』('98年発表)と4th『Gracefallen』('99年発表)の復活期にはJarkkoが参加しておらず、他の3人で長時間の即興演奏を通して「その場で曲を構築していく」やり方をとっていたとのことです。
従って、前半と後半ではメインの作曲者が異なるため、音遣いや曲調などの質もかなり異なることになります。

インタビューで表明されている影響源はそれぞれ

Jarkko:
初期CELTIC FROST、VOIVOD、POSSESSED、KREATOR、SLAYER、BLACK SABBATH(最初の4枚)、György Ligetiや“奇妙な”クラシックなど


ということなのですが、前半も後半も、こうした「影響源」から直接連想できるような要素は殆どありません。そうしたものを“ダシ”のレベルまで嚙み砕き、その上でイチから個性を構築したというような、奥深く練度の高い味わいが生まれているのです。UNHOLYの遺した4枚のアルバムではそうした味わいがそれぞれ異なるスタイルで示されていて、その上で「他では聴けない」全体としてのバンドカラーも強固に保持されています。全てが音楽史上に残るべき稀有の傑作で、こうした音楽性が広く受け入れられるようになってきた今でこそ、聴き込み再評価されなければならない金脈と言えるのです。

1st『From The Shadows』('93年発表)は、一言で言えば
CELTIC FROST『To Mega Therion』『Into Pandemonium』の間の路線を、個性派スラッシュメタルや現代音楽寄りクラシックの奇妙な音遣い感覚で強化し、徹底的に遅く演奏した」
感じの音楽性です。CELTIC FROSTの生硬く引っ掛かるリフ進行がクラシック寄りの学理で滑らかに解きほぐされており、スムースな進行感と異様な暗黒浮遊感が両立されています。こうした音遣い感覚は、いわゆる「フューネラル・ドゥーム」の“わりとストレートに泣き濡れる”“意外と色の数が少ない”音遣いとは一線を画すもので、後のそうしたものに通じる要素を含んではいますが、“溶けているもの”の豊かさは比べものにならないくらい上です。キーボードなどをあまり多用しないギターリフ主体のスタイル、そして“闇の奥で何かもぞもぞやっている”ようなアンダーグラウンドな音作りのせいもあって、一聴すると単調に思えてしまいがちな仕上がりでもあるのですが、よく聴き込むと非常に緻密なアレンジがなされており、シンプルに印象的なリフと巧みにひねられた構成に惹き込まれていきます。遅いテンポをじっくりこなしながらも“勢いよく弾け飛ぶ”アタック感を発揮する演奏も強力で、「ゆっくりしているのに獰猛」とでも言うべき只ならぬ迫力に満ちています。全ての点において著しく充実した傑作で、ギターリフ主体のスタイルが生む“モノトーン感”を好む方には最も歓迎されるだろう一枚です。「PARADISE LOSTとVOIVODの中間の音楽性をドゥームメタル化した」ような場面もあり、初期のカルトなゴシックメタルが好きな方にも強くお勧めできるアルバムです。

上記の1stは9曲中8曲がデモで発表済みの曲を再利用したもので、活動開始直後(IsmoとJan加入前)のスタイルを受け継ぐ所の多い作品になっていました。これに対し、翌年発表された2nd『The Second Ring of Power』('94年)は1曲を除く全曲が新たに作られたもので、メインリフは引き続きJarkkoの手によるものの、アレンジの段階で他メンバーのアイデアが大量にインプットされています。このアルバムではIsmoがエレクトリックギターを弾くのをやめ(全てJarkkoが担当)、キーボードの演奏に専念(一部で出てくるバイオリンやアコースティックギターも担当)。それにより、奇怪で個性的なシンフォニック・アレンジが一気に花開くことになりました。音楽要素は前作に繋がるものが多いのですが、テンポ設定は全体的に速めになっており(と言っても最速でいわゆるミドルテンポというくらい)、手際よく印象的なフレーズを連発する構成もあって、初めてUNHOLYの音楽を体験する人にとっては最も「わかりやすい」一枚になっているのではないかと思われます。ただ、他に類を見ないアイデアが炸裂しまくったシンフォニック・アレンジは、容易に納得させてくれない得体の知れない混沌に満ちていて、アルバム全体を通しての聴き味は滑らかとは言えません。優れた構成を通して聴き手に疑問を与え続けるようなアクの強さがあって、バンドの代表作として扱われるわりには例外的な要素を多く含んでいます。堂々とした振舞いで圧迫感を与えるような演奏感覚も強めに出ていて、この点では確かにVOIVODに通じるところもあるのではないかと思います。(音遣いなどは全く異なるのですが。)diSEMBOWELMENTや後のフューネラル・ドゥームに直接つながる「Lady Babylon」の次に気怠くパワフルな「Neverending Day」を持ってくるなど、緩急のつけ方も一筋縄でいかない所が多く、咀嚼にコツは要りますが、慣れると替えのきかない珍味になる一枚と言えます。いきなり聴くのは注意が要るアルバムですが、90年代のアンダーグラウンドシーンを代表すべき大傑作です。

このような前半2枚に対し、ワンマン体制から脱した後半の2枚は語られる機会がさらに少なく、アンダーグラウンドシーンにおいても殆ど黙殺されているように思われます。しかし、得体の知れない深みと著しく滑らかな進行感を両立する作編曲と、遅いテンポを完璧にタメながらほどよい荒々しさを生み出してしまうアンサンブルは、ともに超一流といえる驚異的なもので、少し傾向が異なるものの、前半の2枚にも勝るとも劣らない傑作揃いです。アンダーグラウンドなメタルの雑な勢いを好まない方にはむしろこちらの方がお勧めできるので、こうしたジャンルが苦手な方にもぜひ聴いて頂きたいと思います。

3rd『Rapture』('98年発表)はJarkko以外の3人による共作体制が確立された初のアルバムで、活動休止期間('94〜96年)に各自が書いた曲をバンドで仕上げたものも含まれているようです。長いリハーサルを重ね、ジャムセッションにおける即興を通してアイデアを蓄積、その上でアレンジを仕上げていくという作編曲方式は、一見すると「なんだか単純で捻りのないものができそう」なのですが、出来上がった曲はいずれもクラシック音楽交響曲にも匹敵するような驚異的に緻密な構築美を誇っています。その代表例が4曲目を飾る15分余の大曲「Wunderwerck」で、「長さを気にせず作ったらこうなった」という構成は無理なく堂に入ったペース感覚を持っており、「なんとなく聴いていたらいつの間にか終わっている」ような、非常に聴きやすい仕上がりになっています。このアルバムは全曲がそういう優れた“語り口”を持っていて、一枚を通しての流れまとまりも完璧です。UNHOLYの作品中最も完成度の高い一枚と言えますし、長尺のアルバムが多い「フューネラル・ドゥーム」「ドゥームメタル」のジャンルにおいてもトップクラスの傑作なのではないかと思います。前半の2枚と比べると非・現代音楽寄りのクラシカルな音進行が主で、それが(メタルというより)70年代のハードロックに通じるフレーズ感覚で薫り高く装飾された音遣いは、フィンランドの音楽によくある“歌謡曲的な引っ掛かり”溢れる臭みが薄く、そうしたものが苦手な方にも気軽に味わえるものになっています。(そしてそれでいて、フィンランド以外の音楽では味わえない薫りを豊かに備えています。)UNHOLY入門に最も相応しい傑作と言えるので、長い曲がいける方はぜひここから聴いてみてほしいと思います。

続く4th『Gracefallen』は、前作で確立した「ジャムセッションを通しての緻密な作編曲」を通して様々なスタイルを開拓した作品で、一般的な「フューネラル・ドゥーム」のフォームに比較的近かった前作とは異なる、挑戦的で興味深い捻りをもつアイデアがたくさん試されています。遅いテンポの中で複合拍子(7+6など)やポリリズミックなリズム構成(3拍×4のキーボードに対し4拍×3で一巡する遅いリフを重ねるなど)を試みるアレンジは、いわゆる「ドゥームメタル」の枠内に留まらないものなのですが、それが(前作以上に優れた)最高のドゥーム・グルーヴによって形にされることにより、他では全く聴けない生理的快感を生み出します。実際、このアルバムの音作りと演奏はこの手のジャンルの頂点をいくもので、どんな曲を演奏しようと深く酔わせてくれる極上の機能性を獲得しているのです。アルバム一枚としての流れは少しいびつに思えなくもないですが、どんな曲調を試してもUNHOLYとしての統一感あるイメージを損なわない作編曲はさすがで、慣れれば何も気にせず没入しきることができます。「1stと2ndの間の路線を高度な楽理と演奏力で再構築した」ような趣もあり、このバンドならではの“豊かな混沌”はここに至っても損なわれていません。前作と比べるとクセの強い一枚ですが、やはり聴き込む価値の高い傑作と言えます。OPETHファンにお勧めできるような曲もありますし、機会があればぜひ聴いてみてほしいです。

このアルバムを発表した後、UNHOLYは長く付き合ったAvantgrade Musicを離れ(商業性に欠けるわりに製作費用のかかる音楽性を持て余したレーベル側と意見が合わなくなった模様)、メジャーレーベルとの契約を進めようとしたのですが、交渉を始めたアメリカのレーベル(Relapseらしい)との話がいつまで経ってもまとまらず、自信作だった『Gracefallen』の売上が過去最低だったことや、ブッキングマネージャーなどの問題によりライヴの機会が得られなかったことなどもあって、次第に疲弊し、遂には活動を諦めてしまうことになります。こうしてUNHOLYは'02年に解散。メンバーは音楽から離れ、“普通の”生活をしていくことになったのでした。

ただ、何かのきっかけでUNHOLYの音楽に辿りつき魅了される人も増え続けていたようで、そういう人達からの再発・再結成の願いは解散後もバンド側に届いていたようです。そうした声に応える形で、'11年には初期のデモ全てがRusty Crowbar Recordsから再発。また、Avantgrade Musicから版権を買った名レーベルPeacevilleが全フルアルバムを再発し、UNHOLYの音楽がささやかながら再評価される機会が生まれます。(この再発盤は現在も容易に買えます。)それに応じてか、バンドはリハーサルを重ね、Jarkkoも含む4人の“オリジナル”編成での再結成を果たします。2012年の夏に単独公演を数回、フェスティバルへの出演なども成し遂げて、Jarkko脱退後の曲を含むセットリスト(15分に及ぶ「Wunderwerck」などもやった模様)で素晴らしいパフォーマンスを披露したUNHOLYは、新しい曲を発表することなどはせず、再び解散を選択。こうしてバンドの歴史に幕が下ろされることになったのでした。

以上のように、UNHOLYの音楽は、いわゆる「フューネラル・ドゥーム」に通じる要素を多分に持ちながらも、何か一つのジャンルに回収しきれない混沌とした豊かさを備えたもので、それを形にする驚異的な作編曲・演奏表現力もあわせ、他に類を見ない凄いものであり続けていました。活動していた当時は残念ながら正当な評価を得ることができませんでしたが、その作品は今でも容易に手に入れることができ、現在のシーンと比べてもなお先を行くものとして興味深く聴き込むことができます。カルトで“食いづらい”ところがあるのは否定できませんが、慣れて波長が合えばいつまでも聴き続けられる最高の珍味になり得ます。
機会があればぜひ聴いてみてほしい、超一流のバンドです。

なお、UNHOLY関連の資料として、この記事の参考資料集http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/11/02/201247にメンバーのインタビューを5本訳して載せています。どれも非常に興味深い内容なので、読み比べてみて頂けると幸いです。