プログレッシヴ・アンダーグラウンド・メタルのめくるめく世界

記事量が膨大になったので分割独立させました

【ブラックメタル出身】 VED BUENS ENDE…(ノルウェー)

Written in Waters

Written in Waters


(デモ『Those Who Caress The Pale』フル音源プレイリスト)'94

(『Written in Waters』フル音源)'95

いわゆるアヴァンギャルドブラックメタルを代表するバンド。唯一のフルアルバム『Written in Waters』は、ノルウェー・シーンが生み出した最高の達成の一つというだけでなく、90年代のあらゆる音楽ジャンルをみても屈指の傑作です。音楽性がマニアックなこともあって一般的な知名度は絶望的ですが、知っている人からは極めて高く評価されるバンド。そういう意味ではCONFESSORに通じますし、それに勝るとも劣らない実力者と言うことができます。

VED BUENS ENDEの音楽性を一言で表すのは困難です。「Eric Dolphyのような現代音楽に通じるフリー寄りモードジャズをAMEBIXと組み合わせてブラックメタル化したもの」とか「KING CRIMSON〜VOIVOD的な音遣いとノルウェー特有の音進行を混ぜ合わせて独自の暗黒浮遊感を生み出したもの」と言うことはできますし、実際そういう要素は含まれています。しかし、音遣いや演奏表現の混沌とした豊かさはそうやって括れるレベルを越えています。ギターの奇怪なコードワークも、極めて闊達なベースラインも、ブラックメタルの特徴を備えながらも定型に回収されないアイデアに満ちていて、しかもそれらが複雑に絡み合うことにより、(それこそモードジャズのように)偶発的な広がりとまとまりを両立した音進行を生んでいるのです。そして、それを装飾するドラムスも強力です。CONFESSORのSteve Sheltonにも並びうるジャズ・ロック型の達人で(John BonhamLED ZEPPELIN)〜Neil Peart(RUSH)ラインの最高位という感じ)、パワーとスピードを両立する音色も、複雑で多彩なフレーズも、比類なく優れた個性を持っています。こうした鉄壁のアンサンブルを飄々と乗りこなすボーカルも味わい深く、音楽全体に不穏な柔らかさを付け加えています。作編曲も演奏も、他では聴けない異様な魅力に溢れているのです。

VED BUENS ENDEのメンバーは
Carl-Michael Eide(aka. Czral)(ドラムス・リードボーカル)(VIRUS・AURA NOIR
Vicotnik(Yusaf Parvez)(ギター・歪みボーカル)(DODHEIMSGARD / ex.〈CODE〉)
Skoll(Hugh Steven James Mingay)(ベース)(ARCTURUS / ex.ULVER)
の3名。全員がノルウェー・シーンを代表する名人で、卓越した演奏表現力と個性的な音楽性を両立する達人揃いです。こうしたメンバーにより繰り広げられるアンサンブルは、一般的なブラックメタルの速く単調なものとは大きく異なる、ゆったりしたテンポで不定形に変化し続けるもので、この点について言えばメタルよりも60年代付近のジャズに近いかもしれません。仄暗く抑制された空気感はLennie TristanoLee Konitzなどのいわゆるクール・ジャズに通じますし、全パートが状況に応じてリードにもバッキングにもなる展開は、WEATHER REPORTなどと比べても見劣りしない“均整のとれた自由度”を勝ち得ています。こうしたアンサンブルが、ある種の暗い美意識に基づいて緩やかな変容を繰り返す(枠と広がりを両立する)さまは、本質的な意味において“ジャズ”に通じるもので、所属するシーンは異なりますが、そちら方面のファンにも聴かれなければならない達成なのではないかと思います。こうした演奏表現ひとつ取ってみても、ジャンルを越えて評価されるべき高度な旨みを持っているのです。

また、演奏表現だけでなく、音遣いや作編曲も不可解な謎に満ちています。ノルウェー・シーンで培われつつあった黎明期ブラックメタルの要素が土台になっているとは思うのですが、それがモードジャズ的な“外れることを恐れない”付かず離れずな展開で表現されることにより、それまでのブラックメタルには存在しなかった不思議な音進行が多々生まれているのです。
(60年代のモードジャズが「黒人音楽のブルース感覚を(近現代クラシックの複雑な和声感覚なども援用して)浮遊感あるかたちに拡張していった」ものなのだとすれば、VED BUENS ENDEの音楽は、ノルウェー・シーンに至る過程で生まれていった固有のブルース感覚を改めてモードジャズ的に料理したものだと言えるのかもしれません。)
(そういうこともあってか、アヴァンギャルドで不気味なコードに注目するよりも、ブラックメタル的な“引っ掛かり”感覚を足場として聴いた方が理解しやすいものなのだと思います。)
このような音遣い感覚は、多くのブラックメタルにおいて前面に押し出されている“ストレートに沈み込む”“大声で嘆き続ける”ものとは一線を画しています。どこか曖昧で定まらない印象を持ちながら、落ちきることも浮ききることもなく揺れ漂っていく。こうした“フラットに揺れる”進行感が、どこか脱力したボーカルや霧のように肉感の乏しいギターによって形にされることにより、「薄靄のようにぼんやりした不安が少しずつ形を成していく」さまが描かれているのです。
(ヒリヒリする焦りの感覚はあるけれども、切迫感というのとは異なる。言うなれば、“冷たい泥水に浸かりながら、体温が失われていくのを他人事のように感じている”ような感じ。“朦朧とした意識のなかで遠くの危機を微かに知覚している”というふうな趣もあります。全編が危険な柔らかさに包まれているのです。)
独特のリズム構成もこのような印象に貢献しています。例えば1曲目「I Sang for The Swans」に出てくる13拍子など。こうした変拍子は、「速い展開の中で急な躓きを仕掛ける」よりも「ゆったりした流れの中で一瞬の立ちくらみを誘う」もので、統合不全のプレ・ブルースに通じる緩やかな“字余り”感覚を持っています。基本的には4拍子(3連)系の落ち着いた構成の中に時折このような“揺らぎ”が現れることにより、先に述べたような“フラットに揺れる”進行感が一層強化されているのではないかと思います。

VED BUENS ENDEのこのような音楽は、このシーンのこの時期にしか生まれ得なかったものなのではないかと思われます。Vicotnikがインタビュー(http://www.mortemzine.net/show.php?id=3634&il=6)で「'91〜'93年頃の“競い合う気風”が90年代中期に至る音楽的豊穣をもたらした」と述べているように、黎明期のノルウェー・シーンには「深い表現力があれば音楽的には何をしてもOK」という風潮がありました。刺激を与え合いながら互いを出し抜こうとする姿勢があり、それが良い循環をもたらして、数々の個性的な名作を生んでいったのです。VED BUENS ENDEの『Written in Waters』('95年発表)はそうしたシーンの勢いや混沌とした豊かさを真空パックしたような作品で、早熟の天才たち(17〜20歳)の技術と情熱が最高の環境のなかで発揮された傑作なのではないかと思います。このような意味において、KING CRIMSONの『In The Court of The Crimson King』やCYNICの『Focus』にも並ぶ、“偉大なる1stアルバム”と言える作品なのです。

また、とかく『Written in Waters』ばかりが語られがちなVED BUENS ENDEですが、前年('94年)に発表されたデモ音源『Those Who Caress The Pale』もそれに見劣りしない傑作です。フルアルバムと比べ一般的なブラックメタルの要素が多めな作風ですが、独特の高度な音遣い感覚と卓越した演奏表現力はこの時点で殆ど確立されており、好みによってはこちらの方が楽しめるかもしれません。アルバムにも収録される「The Carrier of Wounds」「You That May Wither」は(細部のコード処理などは異なるものの)この時点でほぼ同じアレンジで演奏されていて、「あの独特の音楽性は意図的に生み出されたものなのだ」という確認をすることもできます。作品の凄さも資料性の高さも相当のもの。ぜひ聴いてみてほしい傑作です。

以上の2作を発表したのち、VED BUENS ENDEは'97年に解散しました。CzralとVicotnikの間でエゴの衝突があり、互いの才能を極めて高く評価しながらも音楽的方向性をすり合わせることができなかった、というのが主な原因になったようです。各メンバーがシーンで高く評価され、様々なバンド・プロジェクトを抱えている一方で、VED BUENS ENDEとしては「時代の先を行っていて」芳しい評価を得られなかったということもあってか、このバンドの活動は次第にフェイドアウト。その後'06年に一度再結成を果たしますが、アルバムの制作作業において衝突し、再び袂を分かつことになりました。
(Czralのインタビュー(http://www.avantgarde-metal.com/content/stories2.php?id=88)によると、「Vicotnikがクラシック音楽寄りの方向性を進めてきた一方で、自分はブルース・ベースの方向性を進めてきた」「共作は凡庸なものにしかならなかった」というようなことが決裂の原因になったようです。)
Vicotnikの言によれば、「絶対とは言わないが、再結成はまずないだろう」とのこと。メンバーは現在も素晴らしい作品を生み続けていて、その点においては何も心配することはないのですが、VED BUENS ENDEというバンドの歴史について言えば、このまま永遠に閉じることになるとみるのが妥当なようです。
従って、冒頭で述べた「一般的な知名度は絶望的だが一部からは極めて高く評価されるバンド」という立ち位置は、これからも暫くは変わることがなさそうです。それもまあ仕方ないなと思える音楽性ではあるのですが、このような最高レベルの傑作が埋もれたままでいるのはやはり惜しいです。ここで知ったような方などは、これも何かの縁ですし、ぜひ何度か聴いてみて頂きたいです。繰り返し接するほどに深く惹き込まれ、他では味わえない感覚を開拓してくれる音楽。少なくとも10年は聴き飽きないことを保証いたします。

【ブラックメタル出身】 Ihsahn関連(ノルウェー) (THOU SALT SUFFER、EMPEROR、PECCATUM、IHSAHN)

After

After


(EMPERORの1st『In The Nightside Eclipse』フル音源)'94

(EMPERORの4th『Prometheus:The Discipline of Fire & Demise』フル音源)'01

(PECCATUMの3rd『Lost in Reverie』フル音源プレイリスト)'04

(IHSAHNの3rd『After』フル音源)'10

(IHSAHNの5th『Das Seelenbrechen』フル音源)'13

ノルウェーブラックメタルシーンを代表する早熟の天才('75.10.10生)。映画音楽(Jerry Goldsmith、Ennio Morriconeなど)やクラシック音楽方面の楽理を活かし、ノルウェー特有の“薄くこびりつく”引っ掛かり感覚(上記記事http://closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/03/27/050345 をご参照ください)と滑らかな進行感を融合しました。高い構築性と溢れる情熱を両立する作品は優れたものばかりで、その全てが“知的な勢い”を強力に備えています。EMPERORの初期作品は「シンフォニック・ブラックメタル」のルーツの一つになりましたし、EMPEROR解散後も、独特の音楽性をより高度に発展させ、前人未踏の境地を切り拓き続けています。今後のさらなる飛躍が楽しみな実力者です。

上の記事に補足するかたちで書くと、Ihsahnの音楽性は、ハードコア〜スラッシュメタルの尖った引っ掛かり感覚はあまり持ち合わせておらず、映画音楽にMERCYFUL FATE〜KING DIAMOND的な欧州クサレメタルのエッセンスを加えたような味がベースになっています。
デスメタルスタイルだった初期THOU SALT SUFFERや、プリミティブ・ブラックメタル寄りだったEMPERORのデモ『Wrath of The Tyrant』(以上すべて'92年発表)は比較的そういう“尖った引っ掛かり感覚”を備えているのですが、EMPERORの1stフルアルバム以降は殆ど引っ込められることになりました。)
フレーズ一つ一つは滑らかに流れていくものばかりなのですが、曲全体を通してみると、はっきり“解決”しきることはなく、微妙にしこりを伴う後味が残る。EMPERORの1st『In The Nightside Eclipse』('94年発表)は特にその傾向が顕著な作品で、連発される華麗なフレーズだけみていると「格好いいけど手応えに欠ける」気がしてしまう一方で、先述のような“はっきり解決しきらない”微妙な引っ掛かりを意識しながら聴いていくと、“薄くこびりつく”必要十分な手応えを感じ取ることができるのです。本稿【プレ・テクニカル・スラッシュメタル】で扱う作品になぞらえるならば、小気味良いキメを連発してどんどん突き進んでいくMEGADETHよりも、長いスパンで流れていく(クラシックの大曲などに通じる「長さ」がある)METALLICA『Master of Puppets』に近い性格を持っていると言えます。その点で、派手なリードフレーズよりもブルース的な“引っ掛かる”手応えを重視する人からは理解されにくい作品なのですが(私がそうでした)、ノルウェー特有の引っ掛かり感覚はしっかり備わっていて、慣れればそれに心地よく浸れるわけです。

Ihsahnのこのような音楽性は、EMPERORの諸作(4枚とも大傑作)はもちろん、それ以後の活動でも維持され、より解きほぐされたかたちに発展され続けています。

ソロプロジェクトであるIHSAHNにおいては、EMPERORの最終作『Prometheus』('01年発表)で(いささか未洗練な形で)示された複雑なコードワークが引き継がれ、様々な音楽要素と掛け合わされることにより、いわゆる「ブラックメタル」の暗く沈鬱なイメージに留まらない豊かな表情を描き出しています。
3rdアルバム『After』('10年発表)はそうした方向性がひとつの完成をみた大傑作で、先述のようなノルウェー特有の引っ掛かり感覚にジャズ的なヒネリを加えることにより、EXTOLやENSLAVEDのような同郷の優れたバンド、そしてMESHUGGAHなどに通じる独特の浮遊感が生まれています(“オーロラが不機嫌に瞬く”イメージ)。SPIRAL ARCHITECTのドラムス・ベースをサポートに従えたアンサンブルも超一流で、完璧なサウンドプロダクションもあって、優れた音楽性をあらゆる面において良好に楽しめるようになっています。本稿で扱う全作品の中でも「入門編」として特におすすめできる一枚です。
また、目下の最新作である5th『Das Seelenbrechen』('13年発表)では、前作4thにおいて再び(ジャズ的な“アウト感”を控えめにして)EMPEROR寄りに戻った音遣い感覚を引き継ぎつつ、アンビエント電子音楽の要素(PECCATUMなどでは用いられていたけれどもメタル寄りのIHSAHNにおいては控えられていた要素)を大幅に導入し、作編曲の構成も、フリーな展開をする余地を残したラフな形に仕上げられています。従って、従来のメタル寄りの要素を求めると肩透かしを食らってしまう場面も多いのですが、ノルウェー・シーンの成り立ち(もともとジャーマンロックや電子音楽との親和性が高い)を考えると自然な流れとも言える方向性ですし、実際、先述のような“薄くこびりつく”引っ掛かり感覚や“気の長い”時間感覚は一層成熟したものになっており、慣れれば非常に心地よく浸ることができます。ぜひ聴いてみてほしい傑作です。
ただ、こうしたアンビエントな感覚が活かされた作品としては、PECCATUM(奥様であるIhrielとのユニット)の3rd『Lost in Reverie』('04年発表)の方が完成度が高いかもしれません。このアルバムでは、先述のような音遣い感覚にヨーロピアン・ジャズ的な味わいが加わっていて、それがEMPERORの4thに通じるメタルパートと滑らかに組み合わされています。そうした静・動の対比や緩急構成が実に素晴らしく、全体を通して何も余計なことを考えず浸りきることができるのです。深い森の中でまどろむような柔らかく神秘的な雰囲気も絶品で、Ihsahn関連作の中で最も優れた作品の一つなのではないかと思います。強くおすすめできる大傑作です。

Ihsahnの人となりや音楽的バックグラウンドについては、2013年のソロ来日時に行われた、インタビュー(聴き手はSIGHの川嶋未来さん)が優れた資料になっているので、これを一読されることをおすすめします。
ここでもよく表れているのですが、Ihsahnには「影響を受けるのを恐れない」(言ってしまえば“ミーハー”な)ところがあります。たとえば、インタビューで言及されているRADIOHEADMiles Davis(『Sketches of Spain』はクラシック「アランフェス協奏曲」のモーダルなビッグバンドアレンジなので“ジャズの本流”とはだいぶ異なります)、そして共演したDevin TownsendやOPETHなど。ソロプロジェクトIHSAHNの作品を聴くと、そうしたものの影響がだいぶあからさまに示されている場面が多く、つい笑わされてしまうこともあります。しかし、そうした「対象にかなりはっきり寄せている」ところでも、その対象の要素をそのまま持ってきて“亜流”になってしまうようなことは全くなく、「似てはいるけれども完全に独自の仕上がりになっている」のです。このような柔軟で逞しい“在り方”は驚異的で、Ihsahnという音楽家の優れた持ち味を示すものだと思います。この若さ(2015年3月現在でまだ39歳!)にしてこれだけの作編曲力・演奏表現力を身につけてしまえているのも、そうした持ち味によるところが大きいのではないでしょうか。既に達人と言える境地にありながら、これからもなお成長の可能性を感じさせてくれる素晴らしいミュージシャン。今後の活動が楽しみです。

【初期デスメタル】 diSEMBOWELMENT(オーストラリア)

Disembowelment

Disembowelment


(『Transcendence into The Peripheral』フル音源)'93

'89年結成、'93年解散。フューネラル・ドゥームと言われるスタイルを最も早く確立したと言われるバンドで、個性的で奥深い音楽性により後続に絶大な影響を与えました。唯一のフルアルバムは「デスメタル」の枠に留まらない大傑作で、90年代に生まれた音楽としてはあらゆるジャンルにおいても屈指の達成と言えます。本稿で扱う作品の中でも最高レベルの傑作。ゴシカルな雰囲気に抵抗のない方はぜひ聴いてみてほしい一枚です。

diSEMBOWELMENTの音楽性は「THE CUREJOY DIVISIONDEAD CAN DANCEあたりに初期NAPALM DEATHの音遣い感覚を加え、アンビエントデスメタルスタイルで演奏した」感じのものです。リーダーであるRenato Gallina(全ての作詞作曲を担当)は中東音楽に深く入れ込んでおり(diSEMBOWELMENT解散後にはそうした方向性を前面に押し出したフォーク / アンビエントユニットTRIAL OF THE BOWを結成します)、そこから得た音遣い感覚が初期NAPALM DEATHのようなグラインドコアの要素と混ざり合うことにより、イギリスのゴシック・ロックに通じる暗黒浮遊感が生まれた、ということのようです。全7曲(約60分)の半分以上は10分程度の大曲ですが、緻密で巧みな構成力と卓越した演奏表現力もあって、冗長な感じは全くありません。正統派デスメタルの“ドロドロした”感じのない音遣いは、クラシック音楽というよりはそれ以前の古楽バロック以前:16世紀以前)やビザンティン音楽(ギリシャ〜地中海発祥:9〜15世紀)に通じるもので、滑らかな湿り気を伴いながらも感傷的になりすぎない、独特のバランス感覚を持っています。また、音作りはノルウェー以降のブラックメタルにおける“霧のような”トレモロ・スタイルに近く、一般的なデスメタルの“重く密な”質感がないこともあり、“肉体の重みから解放された”感じを生んでいます。こうした要素が複雑に絡み合うことにより現れる雰囲気は唯一無二の薫り高いもので、苦しみに悶える激しいパートでも“聴き手に噛みつく”悪意は殆ど感じられず、高貴で厳粛な品の良さを常に伴っているのです。

このような雰囲気や音楽性は後のバンドに絶大な影響を与えており、「フューネラル・ドゥーム」と呼ばれるスタイルの原型にもなりました。特に、ブルース的な引っ掛かりの少ない音進行と、遅いパートでも重みを感じさせない“霧のような”“肉感の薄い”音作りは、BLACK SABBATH方面から派生したドゥームメタル(ELECTRIC WIZARDやSLEEPなど)とは一線を画すもので、CANDLEMASSやUNHOLYのような北欧のバンドとあわせて、SABBATH寄りドゥームと異なる流れを生む原動力となりました。また、NILEのKarl Sandersなど、ドゥームメタルとは別方面のミュージシャンにも多くの影響を与えています。
(Karlは、'97年のインタビュー http://www.darkages.org.uk/nile.html で影響源を問われた際、Graeme Revelle(ニュージーランドの映画音楽家)・Peter GabrielGENESIS出身のあの人)に続けてdiSEMBOWELMENTとTRIAL OF THE BOWの名前を挙げています。)
本活動中('89〜'93)は十分な認知を得られなかったバンドですが、他に類を見ない大傑作を残したことにより、しっかり歴史に残り、いまだに影響力を発揮し続けているのです。

diSEMBOWELMENTの作品は、現在Relapseレーベルから出ている2枚組CD『diSEMBOWELMENT』により、デモも含めた全音源をまとめて聴くことができます。全ての収録曲が比類のない名曲で、シーンの流れを押さえるという意味でも、単純に音楽を楽しむという点でも、他では聴けない素晴らしいものばかりです。初期デスメタルの枠で言えばMORBID ANGEL『Alters of Madness』やGORGUTS『Obscura』と並ぶ大傑作ですし、現代のシーンをみても、MOURNFUL CONGREGATION('93年結成)やULCERATEのようなオーストラリア〜ニュージーランドバンドを理解するにあたって外すことのできない存在だと考えられます。ぜひ聴いてみることをおすすめします。

【ゴシック〜ドゥーム〜アヴァンギャルド寄り】 Thomas Gabriel (Warrior/Fischer)関連(スイス) (HELLHAMMER〜CELTIC FROST〜APOLLYON SUN〜TRIPTYKON)

Into the Pandemonium

Into the Pandemonium


(HELLHAMMERの2ndデモ『Triumph of Death』フル音源)'83

CELTIC FROST『Morbid Tails』フル音源:EP『Morbid Tails』とEP『Emperor's Return』を合わせて曲順を変えたもの)'84〜'85

CELTIC FROSTの1st『To Mega Therion』フル音源)'85

CELTIC FROSTの2nd『Into The Pandemonium』フル音源)'87

(APOLLYON SUN『Sub』から「Naked Underground」)'00

CELTIC FROSTの5th『Monotheist』フル音源)'06

(TRIPTYKONの2nd『Melana Chasmata』フル音源)'14

80年代のメタル〜ハードコアシーンを代表する天才。作編曲と演奏(ボーカル・ギター)の両面において世界中のミュージシャンに絶大な影響を与えました。デスメタルブラックメタルゴシックメタル〜フューネラルドゥームなどの直接的影響源であり、NIRVANAやMELVINSなどを通してアメリカの(ハードコア寄り)アンダーグラウンドシーンにも影響を与えています。雑多な音楽要素を単線のフレーズに落とし込んで聴かせてしまう音遣い感覚は唯一無二で、これを上回る旨みを獲得できたものは殆ど存在しません。そういう意味ではBLACK SABBATHやDISCHARGEにも劣らない、素晴らしい“オリジネイター”なのです。

Tom G.の作る曲は、基本的にはシンプルなフレーズの積み重ねから成り立っています。コード付けを避けた単音フレーズを並べて一曲を通してしまう構成で、その断片は一見どこにでもありそうなものばかり。しかし、多くの「リフ(反復フレーズ)志向」のメタル〜ハードコアが転調(キーチェンジ)などを交えずに“同じポジション”で弾き続けるのに対し、Tom G.の曲では頻繁に転調(というかtonal interchange)がなされます。
たとえば〈Ⅰ→Ⅰ#→Ⅰ〉進行だけで押していくところでも、キーを「C→E→D」と変化させながらそうした進行を繰り返すことにより、
「〈C→C#→C〉→〈E→F→E〉→〈D→D#→D〉」
というふうに、“半音を多用して複雑に揺れ動く”浮遊感ある音遣いをすることができます。
(上の例で言えば、Cを移動ドの根音(ド)としてみれば、ドからファまでの間の全ての音〈ド・ド#・レ・レ#・ミ・ファ〉が用いられ、12音技法に近い複調感覚が生まれています。
(通常のスケールでは、ひとつの調においては〈〉内6音のうちせいぜい4音くらいしか使わない。))
また、一方で“キーの音(C・E・D)を足場にしつつ周りを蠢く”進行が組み込まれているため、そこにはある種の安定感が生まれます。
こうした“彫りの深い”“浮遊感と安定感を両立する”音遣いは、多くの“同じポジションで弾き続ける”音楽とは一線を画するもので、フレーズの断片(ミクロ)だけみれば単調ですが、全体(マクロ)としてみれば複雑な広がりを生み出しているのです。この人の曲についてよく言われる「単純なリフを重ねてるのに何故か個性的」という評価は、こうした音遣いのミクロの部分だけをみて(しかしマクロの感覚は体で理解した上で)なされているものなのだと言えます。

また、こうした“転調”だけでなく、その断片となるフレーズの構成も実は非常に個性的です。
多くのリフ・ミュージックがⅣ・Ⅳ#・Ⅰ#(マイナースケールの移動ドでみれば、Ⅰ=ラに対し、それぞれレ・レ#・ラ#)といった“引っ掛かりの強い”キメの音程しか重視しないのに対し、Tom G.の音遣いにおいてはⅡやⅦ♭(それぞれⅠからみて一音上・一音下)などの“引っ掛かりがそこまで強くない”音程も巧みに用いられます。流れや場面に応じて“引っ掛かり”の強さを使い分ける力加減が絶妙で、断片だけみても深い陰翳を描き出しているのです。
こうした独特の音進行は「ロックンロールのブルースマイナーペンタトニック(ラドレミソ)に複雑な半音遣いを加えた」感じのもので、クラシカルなマイナースケールやブルーノートなどとは異なる、生硬く潤った湿り気を持っています。これが“はっきりしたコード付け”による色付け(=ニュアンスを限定してしまう処理)を避けた“未加工”な形で提示されることにより、無限の“想像の余地”を伴う豊かな暗黒浮遊感が生まれるのです。

Tom G.の音遣いは以上のような“複雑なモノトーン”感に満ちたもので、コード付けして様々な形に加工してしまうことができる“素材としての優秀さ”もあわせ、後続のミュージシャンに絶大な影響を与えています。それぞれの理解度は異なるものの、こうした「モノトーンの暗黒浮遊感」は多くのバンドに受け継がれていますし、MORBID ANGELやSEPULTURA、NIRVANAにMELVINSなど、独自のやり方で素晴らしく個性的なものに変化させてしまった例もあります。そうした新たな“オリジネイター”をはさんだ間接的伝播も考えれば、その影響の広さ深さは想像もつきません。80年代以降の地下音楽シーンにおいては、ジャンルを問わず最も大きな影響力を持ったミュージシャンの一人なのです。

こうした音遣い〜作編曲だけでも凄いのですが、Tom G.とそのバンドは、演奏の味わいにおいても唯一無二の魅力を誇っています。
Tomはボーカリスト・ギタリストなのですが、その個性的で豊かな音色は他に比すべきものがありません。「ニューウェーブ寄りの退廃的な歌い回しとVENOM以降の逞しいガナリ声とを強靭な発声で融合させた」ようなボーカルは、深い湿り気と飄々とした品の良さを両立していて、独特の掛け声もあってとてもよく真似されるものなのですが、同等以上の存在感を獲得したフォロワーは存在しません。また、ギターの音色も、「ハードコアの“水気を吸ってぶよぶよ膨れる”響きをメタル的な締まりをもって固定した」感じの実に個性的なもので、どこか“超合金”をイメージさせる独特の鳴りは、一音聴けばそれとわかるものになっています。こうした音色を優れたリズム処理能力のもとで使いこなす演奏の魅力は圧倒的で、こうした演奏スタイルがそのまま音楽全体の個性になっています。
これに加えて、Tomのバンドでは「硬く滑らかな」「スピードと引っ掛かりを両立した」ドラマーが起用されることが殆どで、その質感がTomの演奏と絶妙に組み合わさることにより、他では聴けない素晴らしい味わいが生まれます。CELTIC FROSTの1st以降はそういうタイプのテクニシャンが起用され続けていて、独特の作編曲を見事に引き立ててくれているのです。

Tom G.は、以上のような唯一無二の持ち味を磨きながら、キャリアの全期において個性的な傑作を生み続けてきました。

最初期に結成したHELLHAMMER('82〜'84)は地下音楽史上になだたる名バンドで、VENOMやDISCHARGEのスタイルに大きな影響を受けつつ、上記のような個性を萌芽させています。上に挙げた2ndデモ『Triumph of Death』('83)は公式に発表した音源としては初めてのもので(1stデモ『Death Fiend』は発表せずに破棄)、VENOMを数倍極悪にしたような圧倒的な勢いが捉えられています。(こうした作品により「スイスで最も酷いバンド」という評価を公式に得たという話ですが、それも確かに頷けます。)後のクールな印象と比べると、本作の初期衝動の塊のような“なりふり構わない”感じは異質とも言えますが、それだけに特定の層には強力にアピールしており、プリミティブなスラッシュメタルデスメタルを好む層からはいまだに崇拝される対象であり続けています。

3枚のデモと1枚のEPを製作したのち、HELLHAMMERはCELTIC FROST('84〜'93)へ名義を変更。先に述べたような個性を確立し、後世に影響を与え続ける歴史的名盤を連発することになります。この時期から、先に挙げたVENOMやDISCHARGE、ハードロック〜ヘヴィメタルの名バンド(BLACK SABBATHJUDAS PRIEST:ともにオーソドックスでない変遷をしてきたバンドです)に加え、BAUHAUSやSIOUXSIE & THE BANSHEES、CHRISTIAN DEATHといったゴシカルなニューウェーブ寄りバンドからの影響が発揮されてきており、2nd『Into The Pandemonium』('87)ではそうした要素が一気に開花しています。
(このアルバムはPARADISE LOSTなどのゴシックメタルやUNHOLYなどのプレ・フューネラル・ドゥームメタルのバンドに絶大な影響を与えています。)
LAメタルにセルアウトした」と酷評される3rd『Cold Lake』('88)も含めた全てのアルバムが傑作で(この3rdが再発されないのは、「客演したギタリストが他バンドの作品からアイデアを盗用した」のをTomが恥じているからとのことです)、商業的には苦しんだものの、全期に渡って素晴らしい音楽的成果を残しています。

CELTIC FROSTが'93年に解散した後、Tomは同郷の名アーティストH.R.Giger(映画『エイリアン』『Dune』などのアートワークで有名:CELTIC FROSTにも作品を提供)のアシスタントなどをメインに生活していたようです。
そうした活動と並行し、TomはMarquis Marky(CORONERのドラマーで後期のニューウェーブ寄り路線を先導)などとAPOLLYON SUN('95〜'07)を結成しました。このバンドは殆ど語られる機会がないのですが、ゴシカルなインダストリアルメタル路線で素晴らしい作品を残しています。唯一のフルアルバム『Sub』('00年発表)はそうした音楽性が見事に機能した一枚で、MINISTRYやFEAR FACTORY、CORONERの『Grin』、OBLIVEONの『Carnivore Mothermouth』などがいける方はぜひ聴いてみてほしい傑作です。Marquisの粘りあるドラムスが絶妙な引っ掛かりを生み出しており、遅いパートの居心地の良さは絶品です。
また、'01年にはCELTIC FROSTを再結成。かつての同僚Martin E Ain.との共同作業から、これまでの音楽活動の集大成といえる大傑作『Monotheist』('06)を発表し、それに伴い唯一の来日公演を成功させました。しかし、ドラマーとの人間関係の悪化からTomは(自身が創設した)CELTIC FROSTを脱退してしまいます。これによりバンドは解散('07年)。その歴史に終止符が打たれることになりました。

その後、Tomは新たなバンドTRIPTYKON('08〜)を結成。フューネラル・ドゥームに通じるようなコードワークを試しつつ、これまで培ってきた音楽性をさらに深化させています。'14年に発表された2nd『Melana Chasmata』はそうした方向性が素晴らしい結実をみせた大傑作で、1stでは多少湿っぽい方に流れすぎた雰囲気が、特有の優れたバランス感覚のもとで見事に整えられています。アンサンブルのまとまりもTom G.関連バンド史上最高で、個性的な演奏表現力がバンド全体で強力に増幅されています。(1st発表後の来日公演も本当に素晴らしいものでした。)バンド内の人間関係が非常に良いことを窺わせてくれる仕上がりで、今後の活動にも期待が持てます。

以上のような活動を通して圧倒的な天才を発揮し続けるTom G.は文字通りの「生ける伝説」であり、残した作品は全て唯一無二の味わいを持つ傑作ばかりです。テクニックを売りにしない音楽性は本稿で扱うバンドの多くと毛色が異なりますが、その表現力の深さと“格”の凄さは文句無しにトップクラス。(MESHUGGAHやCYNIC、OPETHやIHSAHNなどより上です。)この人の活動に親しむことで音楽史の流れがよく見えるようになりますし、単純に得られる“音楽的歓び”も比類ないものがあります。ぜひ聴いてみることをおすすめします。


【初期デスメタル】 CARBONIZED(スウェーデン)

Screaming Machines

Screaming Machines


(1st『For The Security』フル音源)'91

(2nd『Disharmonization』フル音源)'93

(3rd『Screaming Machines』フル音源)'96

'88年結成。スウェーデンのシーンを代表する「プログレッシヴ」「アヴァンギャルド」なバンドで、グラインドコア寄りデスメタルにKING CRIMSON〜VOIVOD的な要素を加えて独自のスタイルを生み出すことに成功しました。残した3枚のアルバムはどれも非常に個性的で、このジャンル全体をみても屈指の傑作と言えるものばかりです。

CARBONIZEDの音楽性は「どこから来たのか」分析するのが難しい部分があります。'88年から'90年にかけて発表されたデモ『Au-To-Daf』『Promo』『No Canonization』『Recarbonization』と、その後に発表された1stフルアルバム『For The Security』以後とでは、ギタリストが交代しており(Jonas DeroucheからChristofer Johnsson('88年に結成したTHERIONの中心メンバー)へ)、デモ音源収録曲を(10曲中5曲)引き継いで作成された1stアルバムでは、その変化の継ぎ目が見えづらくなっています。たまたま似た音楽性を持つメンバーを迎え入れたのか、それとも前任者の残した素材を後任者が巧みに料理したということなのか。複雑な味わいをもつ魅力的な音楽性ということもあり、そのあたりの興味も尽きません。

その1stアルバムでは、NAPALM DEATH〜CARCASSラインの音遣いにVOIVOD(のKING CRIMSON的要素)やMORBID ANGELのような風味を加えたグラインドコア寄りデスメタルをやっており、音遣いの成り立ちの性格もあってか、どこかDISCORDANCE AXISあたりを連想させる色合いが生まれています。直線的な勢いと複雑な味わいを両立した音楽性が素晴らしく、この手のスタイルにおいても最上級の優れた仕上がりになっていると思います。このバンドの作品の中でも最も評価の高い一枚で、スウェーデンの初期デスメタルシーンを代表するカルト名盤として(オリジナル盤は)高額で取引されています。

続く2nd『Disharmonization』はいわゆる問題作で、雑多でとりとめのない構成もあってか、1stを好むファンの多くからは酷評されています。1stのプログレッシヴ・グラインドコア路線から大きく転換し、チェンバー・ロック的な展開を導入しようと試みた感じの作風で、VOIVODの『Nothingface』に欧州のゴシック感覚を加えたのはいいけれど同様の完成度は得られなかった、という趣のスカムな仕上がり。(水木しげるの作品で例えるなら、VOIVODがメジャーデビュー後、CARBONIZEDが貸本初期といったところでしょうか。)慣れないと“余計なことを考えず”没入するのが難しい出来なのですが、落ち着きなく痙攣するようなアンサンブルも興味深く(グラインドコア的な速く直線的なリズムは上手くても、遅めのテンポでじっくり間をもたせるのはまだ下手という感じ)、非常に個性的で味わい深い内容ではあります。

これとは対照的に、最終作となった3rd『Screaming Machines』は素晴らしい仕上がりになっています。2ndアルバムで実験していた諸要素が高度な音遣い感覚のもとで活かされ、独特の不穏な“間合い”を持った演奏もうまくまとまり、全体として見事な調和をみせているのです。前作から多用されるようになったKING CRIMSON的要素も、“そのまま引用”するのでない個性的な解釈が見事で、この点ではVOIVODを上回っているのではないかと思います。全曲がここでしか聴けない音楽構造と雰囲気をもっていて、“フリ”ではないナチュラルな変態としての魅力にも溢れている。「初期デスメタル」だけでなく「プログレッシヴ・デスメタル」の枠においても屈指の傑作として評価されるべきアルバムです。

以上のように、CARBONIZEDの発表したアルバムは個性的な傑作揃いで、強くおすすめできるものばかりなのですが、1stの後が大コケ扱いされていることもあり、現物の入手は極めて難しい状況にあります。'03年に再発されたロシア盤も現在は入手困難。近年のスウェーデン・シーン再評価の波に乗って、なんとか再発が進むことを望みます。

【初期デスメタル】 XYSMA(フィンランド)

Yeah/First & Magical

Yeah/First & Magical


(1st『Yeah』フル音源)'91

(2nd『First & Magical』フル音源)'93

(5th『Girl on The Beach』フル音源プレイリスト)'98

'88年結成。フィンランドで最初にグラインドコアを演奏したと言われるバンドです。個性的な音楽性で当地のシーンを先導しただけでなく、スウェーデンストックホルム)のバンドと親交を結ぶことにより、両国の地下シーン間の交流を取り持つ役目を果たしました。(ENTOMBEDなどと仲が良かったようです。)

XYSMAは、結成当初はNAPALM DEATHやCARCASSの影響下にある直線的なグラインドコア / ゴアグラインドを演奏していましたが(バンド名もその流れを汲んでいます)、活動を続けるうちに70年代のハードロックや60年代のロック・ポップスなどの要素を大胆に取り入れるようになりました。'89年から'90年に発表された3枚のEPでそうした傾向が少しずつ表れ、'90年発表の1stアルバム『Yeah』で一気に爆発。CARCASS的な“正統派デスメタル”の音遣いと70年代ハードロック的な爽やかな音遣いを巧みに混ぜてしまい、それをやはりCARCASS的なグラインド・デスメタルの演奏感覚で表現する、というスタイルを完成させています。ボーカルはもちろんゴア寄りのデスヴォイスなのですが、明るく爽やかな音進行をしている場面でもそうした歌い回しが浮きません。奇妙な味わいを自然に聴かせてしまうバランス感覚は驚異的で、幅広く豊かな音楽要素をすっきりまとめあげる作編曲のうまさもあって、アルバムの仕上がりは極めて良好なものになっています。こうした路線をさらに推し進めた2nd『First & Magical』も同様の傑作で、荒々しい勢いと爽やかな落ち着きを両立した雰囲気は唯一無二。ともに(知名度は極めて低いですが)90年代の地下音楽シーンを代表すべき名盤と言えます。

このようにして生まれた独特のスタイルは「グラインドロック」「デス&ロール」と呼ばれ、同郷フィンランドバンド(DISGRACE・CONVULSE・LUBRICANT・PAKENIほか)やENTOMBED(スウェーデン)、KORPSE(イギリス)やCSSO(日本)など、狭い範囲ではありますが、同時代のバンドに大きな影響を与えています。こうしたバンドはXYSMAと同様の音楽的変遷を辿り、「グラインドコアデスメタルで培ったグルーヴ感覚」を保ちつつ「70年代のハードロックや初期パンクの豊かな音遣い」を独自のやり方で作編曲に活かす活動をしていきました。当時XYSMAが与えた衝撃の大きさが窺い知れます。

XYSMAがこのような音楽的変遷を遂げることができた背景には、フィンランドという「“本場”でない」環境が大きく関わっていると思われます。
“本場”であるイギリスやアメリカでは、CARCASSのようなグラインドコアデスメタルは、70年代型のハードロックや80年代から連なる伝統的ヘヴィ・メタルとはかなり離れたところに区分され、交流をもつことはほぼありません。また、CARCASS自身がいかにそういうハードロック的なバックグラウンドを持っていたとしても、所属するシーンの“常識”や“水準”をある程度は意識してしまうので、そうしたシーンのイメージから一気に離れることは難しいでしょう。
しかし、そういう“本場”の常識とかイメージを持ち得ない「“本場”でない環境」においては、様々なジャンルがもとの文脈(シーンの関連性・時間軸など)から切り離され、並行するものとして受容されます。先に挙げたようなハードロックとデスメタルも、言ってみれば両方とも同じように自分から遠いものなわけですから、その二つを自分の中で“交流”させてしまうのも、そう難しくはないわけです。こうした話は、メタルに限らずありとあらゆるジャンルにおいて成り立ちます。そして、そういう立場にあったからこそ生まれた“オリジナル”も、実際数多く存在するのです。

たとえば、(メタルとは全く関係ない話で申し訳ないのですが)日本が世界に誇るテクノポップバンYMOは、細野晴臣のブルースロック〜トロピカリズム、坂本龍一のフランス近代和声〜フュージョン的楽理、高橋幸宏ニューウェーブ〜ヨーロピアンポップスという異なる(「本場」ではシーン間に繋がりの薄い)要素を巧く組み合わせることにより、欧州にもない高度な音楽を生み出しました。これは、「本場」に憧れを抱いてそこから学びながらも、そのシーンの文脈に思い入れがなかったりよく知らなかったりする、という立場だからこそ可能になることなのです。
XYSMAの音楽も、そういう「“本場”でないことの強み」が見事に活かされたものなのだと言うことができます。本場のシーンの文脈を良い意味で無視することができ、しかも本場のシーンにない要素を加えることができる。こうした音楽的“交流”は「グラインドコアとハードロックの融合」に留まりません。ハードロックはおろか、メタルの世界では殆ど参照されることのない60年代以前のポップス(いわゆるオールディーズ)の要素も取り込んでしまい、それをパンク〜ハードコア的な音遣い感覚と組み合わせて新たなものを作り出しています。様々な音楽的越境が実践されていて、しかもそれらが素晴らしい成果を挙げているのです。

XYSMAの音楽は、先に述べたような「グラインドロック」「デス&ロール」路線を経て、「ストーナーロック」と言われるようなものに変化していきました。グラインドコア的な要素を表に残しつつ他の雑多な要素も前面に押し出し始めた3rd『Deluxe』('94年発表)では、ボーカルこそゴア寄りデスヴォイスのままですが、7 ZUMA 7のような強力なストーナーロックに通じるレトロ&サイケ感覚が出てきています。(PINK FLOYDやGONGというよりは「SPEED, GLUE & SHINKI寄りのジャーマン・ロック」的な個性的なもの。)そして、以降の4th『Lotto』('96年発表)・EP『Singles』('97年発表)・5th『Girl on The Beach』('98年発表)では、ボーカルはFrank SinatraElvis Presleyのような低音クルーナータイプに変化し、世界的にみても類のないタイプの素晴らしい歌モノハードロックを追求するようになります。初期パンク〜ハードコアの無骨な音進行をBEACH BOYSやJimi Hendrixのモード感覚で巧みに肉付けしたような音遣いは、結果的にSLINTなどのプレ・ポストロックバンドに通じる味わいを持ちながら、見事に独自のものに仕上がっているのです。これはEXTOLなどと並べて評価されるべき素晴らしい音楽的達成で、作品の完成度の高さもあわせて広く認知されるべきだと思います。しかし、もともと極めてニッチなシーン(アンダーグラウンドデスメタルシーン)で活動を始め、一般的に知られていない状態で激しい音楽的変遷を続けてきたこともあって、こうした傑作の数々はメタルシーンの中からも外からも殆ど注目されていません。ストーナーロックやハードコア、ポストロックのファンなどにも驚きを持って迎えられうる内容ですので、なんとか再評価を期待したいところです。

XYSMAの作品に触れるのならば、コンピレーション・アルバム『Xysma』('04)と『Lotto / Girl on The Beach』('05)が良いのではないかと思います。これらはともに2枚組。前者は'89〜'90年発表のEP3枚および1st・2ndアルバムが完全収録されていて、「グラインドロック」「デス&ロール」期の作品はこれ一つで揃います。また、後者は4th・5thアルバムのカップリングで、XYSMAが音楽的に最も成熟した時期の大傑作を2枚とも堪能することができます。シーンの流れを押さえたいのなら前者、デスメタル云々関係なしに優れた作品を聴きたいのであればまず後者をおすすめします。ともに他では聴けない極上の音楽です。

このバンドに限らず、グラインドコア出身のバンドは非常に面白い音楽展開をみせることが多いです。そもそもCARCASS自体が70年代英国ロックの要素を持っているわけですから、グラインドメタルとストーナーロックはもともと近いところにあるということなのかもしれません。
(CARCASSに在籍しARCH ENEMYとSPIRITUAL BEGGARSを結成したMichael Amottの例をみても、マニア気質の優れたミュージシャンが集まるシーンだというのはあります。)
そしてその中でも、XYSMAは最も面白い変化と素晴らしい達成をしたバンドの一つなのです。こうした功績が広く認知され、それに見合った評価を得られることを、心から願う次第です。


【初期デスメタル】 CARCASS(イギリス)

Necrotism - Descanting The Insalubre

Necrotism - Descanting The Insalubre


(2nd『Symphonies of Sickness』フル音源)'89

(3rd『Necroticism - Descanting The Insalubrious』フル音源)'91

(4th『Heartwork』フル音源)'93

初期デスメタルを代表する名バンド。作編曲と演奏の両方で卓越した個性を発揮し、多くのバンドに絶大な影響を与えました。発表した作品の大部分は歴史的名盤で、そこから幾つものジャンルが生まれています。'90年代以降のアンダーグラウンド・ロックシーンをみるにあたって最も重要なバンドの一つです。

CARCASSの音楽は、イギリス〜ヨーロッパにおけるメタルとハードコアのクロスオーバーです。 70年代のハードロックから80年代のNWOBHMに至るメタルの流れ、そしてDISCHARGEに端を発しクラストコアやスピードコアを経てグラインドコアにつながるハードコアの流れ。当時のシーンではこうした2つの流れが互いに影響を及ぼしあっていて、両方のシーンに属するミュージシャンも多数存在していました。CARCASSの音楽性を主導するギタリストBill Steerはその筆頭です。メタル寄りのバックグラウンドを持ちつつハードコアにも慣れ親しんでいたBillは、CARCASSを結成した'87年には初期のNAPALM DEATHグラインドコアを代表するバンド)にも参加し('89年まで在籍)、歴史的名盤である1st(後半)と2ndの製作に深く関わっています。また、ベース・リードボーカルのJeff WalkerとドラムスのKen Owenはハードコア出身で、その上でメタルも分け隔てなく楽しめる嗜好の持ち主でした。こうしたメンバーが集まり、メタル・ハードコアそれぞれの豊かな要素を無節操に組み合わせることで、それまでにはなかった強力な音楽的雑種が生まれます。CARCASSの活動は、「アクティブな音楽マニアが伝統を全く新しいかたちで活かそうとする」試みの歴史と言えるのです。

こうしたことに加え、CARCASSは、このバンドにしかない音楽要素を2つ持っています。一つはBill Steerによる音遣いの“暗黒浮遊感”。そしてもう一つは、Ken Owenを土台とした個性的に“弾け飛ぶ”アンサンブルの質感です。

まずBillの音遣い。これはNAPALM DEATHの1st・2ndにも言えることなのですが、Billの作るフレーズには、それまでのメタルやハードコアにはない(少なくとも前面に出てはいない)不思議な浮遊感があります。DISCHARGEやクラストコア(AMEBIXやDOOM(イギリス)など)のシンプルながら妙にねじ曲がったフレーズを、NWOBHM的なフレーズ〜コード感覚で肉付けしたらこうなる、ということなのでしょうか。CARCASSにおけるそれは初期NAPALM DEATHのものより幾分メロディアスで、安易な“泣き”に陥らない(“解決”しない)感覚を保ちつつ表情豊かに動き回る音進行になっているためか、独特の暗黒浮遊感が大きく増幅されています。CARCASSの作編曲スタイルはアルバム単位で大きく変化していきましたが、こうした音遣い感覚はその全てにおいて維持されていて、他では聴けない薫り高い魅力を持ち続けているのです。

そしてアンサンブルの質感です。ギター・ベースまわりの「欧州ハードコア特有の“水気を含んでぶよぶよ膨れる”質感が、メタル的な締まった量感と組み合わされることで生まれる、“マッシヴなアタック感”」も個性的ですが、それ以上にKen Owenの図太くヨレるドラムスが凄いのです。速いフレーズの一つ一つを全力で叩き切ろうとする無謀なスタイルで、リズムが崩れることを気にせず突っ込む様子は、後のテクニカルなデスメタル・ドラマーからすれば「効率の悪い叩き方に終始するただのヘタクソ」としか思えないでしょう。しかし、この独特のヨレ方とそこから生まれるスリリングな起伏は他では聴けないもので、ギター・ベースの“マッシヴなアタック感”を何倍にも増幅しつつ、バンドサウンドに豊かな表情を付け加えています。このようなアンサンブルはそれ自体が唯一無二の魅力を持っていて、同時代以降の他のバンドに絶大な影響を与えました。CARCASSの作品においては、それまでのメタルやハードコアには存在しなかった(両者を組み合わせて生まれた)興味深いリズムアイデアが多数編み出されており、それらの全てがこの特徴的なアンサンブルによって形にされています。その結果、音遣いだけでなく、リズム〜グルーヴの面でも他では聴けない魅力が生まれているのです。

CARCASSは、以上のような魅力を保ちながら全ての作品で異なるスタイルを提示し、世界各地のシーンに絶大な影響を与えました。それぞれの作品が新たなジャンルを生み、各々のシーンのオリジネイターとしての評価を得ています。そうしたシーンからの新たな広がりまで考えれば、CARCASSが直接・間接的に及ぼした影響は甚大です。アンダーグラウンドな世界に留まらず、ポップスの音作りなどにも参照されている部分があるのです。
(「Isobel」のリミックスを部分的に依頼したBjörkが代表的ですが、低音の扱い方を極端なかたちで洗練させていったデスメタルというジャンルの影響力(SLIPKNOTや種々の“ラウドロック”を経由したもの)までみれば、CARCASSの作品に端を発するアイデアは測り知れない広がりをみせていると言えます。)

まず重要なのが1stデモ『Flesh Ripping Sonic
Torment』('87年発表:現在は1stアルバムの再発盤に収録)です。
NAPALM DEATHに通じるグラインドコアパートを含む一方、ミドルテンポ寄りの“腰だめに走る”爆走パートも絡める作風で、後者の特徴的な演奏感覚は(AUTOPSYとともに)北欧の初期デスメタルに絶大な影響を与えました。
(特に「Regurgitation of Giblets」や「Malignant Defecation」、「Pungent Excruciation」などのブラストビートでないところ。)
NIHILIST(ENTOMBEDの前身)やNIRVANA 2002といったスウェーデンを代表するバンドはこうした演奏感覚をほぼそのまま受け継ぎ、その上で独自の解釈を加え、「デス&ロール」と言われる魅力的なスタイルを生み出しました。

また、その次に発表された2ndデモ『Symphonies of Sickness』('88年発表:2ndフルアルバムの雛形)では、グラインドコア寄りの短い曲が多かった1stデモと比べ長めの曲が増えていて、遅めのテンポでじっくり聞かせるパートではドゥーミーな感覚も生まれています。
XYSMAやDISGRACEといったフィンランドのバンドは、こうした演奏感覚に大胆に初期パンク〜ロックンロールの要素を加えたり、当地特有のドゥーミーな感覚を加えて重苦しい雰囲気を強化してしまうなど、やはり独特で興味深いかたちに発展させています。
(『1990』というコンピレーションアルバムで聴けるDISGRACEのデモ2枚はCARCASS影響下デスメタルの大傑作で、ある意味本家を超える圧倒的な作品です。)

以上に続いて発表された1stアルバム『Reek of Putrifaction』は、同時期に録音されたNAPALM DEATHの2nd『From Enslavement to Obliteration』の影響もあってか、1stデモよりもグラインドコアの“痙攣的に地面に張り付く”高速パートが増えています。強烈にこもったサウンドプロダクションは(一般的な感覚から言えば)劣悪で、ミキシングの失敗もあってバランスを欠いたものになってしまっているのですが、そうした音作りは音楽全体の暴力的なアングラ感を増強していて、高速で痙攣する演奏とあいまって凄まじい勢いを生み出しています。こうした要素はアルバムの過激なコンセプト(死体写真のコラージュと医学用語を多用した歌詞:メンバーの多くはベジタリアンで、そうした立場からの攻撃的な意思表明)と強力な相乗効果を発揮し、多くのレコード店から取り扱いを拒否される一方で、一定の層に熱狂的に受け入れられました。「ゴアグラインド」と呼ばれるジャンルはCARCASSのこの1stフルアルバムの路線を強く意識したもので、上記のようなアルバムアートワークと歌詞のコンセプトをそのまま受け継いだバンドをいまだに量産し続けています。
(ある意味DISCHARGEとD-Beatバンドの関係に通じるものがあります。)

翌年('89年)に発表された2ndアルバム『Symphonies of Sickness』では、先に述べた2ndデモと同じく長めの構築的な展開が増えていて、NWOBHM〜欧州クサレメタル的なメロディアスなフレーズがやや遅めのパートを絡めてじっくり披露されています。いわゆる“正統派”デスメタルに接近した作風で、本作から5thアルバムまでのプロデュースを担当するColin Richardsonの貢献によって、深いアングラ感とそれなりの聴きやすさがうまく両立された仕上がりになっています。“初期デスメタル”的にはこのアルバムが最高傑作で、北欧のシーンだけでなく世界中の同時期のバンドに多大な影響を与えています。このあたりからリズムパターンが多様になり、Ken Owenの個性的なドラム・グルーヴが素晴らしく映えるようになっていきます。

3rdアルバム『Necroticism - Descanting The Insalubrious』('91年発表)では、スウェーデンの初期デスメタルバンドCARNAGEに所属していたギタリストMichael Amott(後にARCH ENEMYやSPIRITUAL BEGGARSを結成)が加入。前作までの「低域で蠢くドロドロしたデスメタル」スタイルから一転、複雑にひねられたリフ構成とメロディアスなリードギターを前面に押し出した“メジャー”な作りになっています。このあたりからバンドのNWOBHM〜正統派ヘヴィメタル志向が強まっていたようで(「本作はKING DIAMONDの名盤『Abigail』『Them』を意識したものだ」という発言があります)、個性的なリードフレーズと独特の“暗黒浮遊感”溢れるコードワークの魅力はここにきて一気に花開くことになりました。こうした音遣いは他では聴けない高度な個性を確立していて、「プログレデス」的な観点でも楽しめる素晴らしい仕上がりになっています。本稿的には最もおすすめできる作品です。

続く4th『Heartwork』('93年発表)はCARCASSの作品中最も有名な一枚でしょう。いわゆる「メロディック・デスメタル」の始祖として扱われることもある名盤で、前作における正統派ヘヴィメタル志向が徹底的に洗練されたかたちで提示されています。前作においては(Billの個性的な音遣い感覚の上で)微妙に浮き気味だったMichaelのストレートなメロディ進行がわりとしっくり収まるようなアレンジが出来ていて、その上で初期作品に連なる独特の暗黒浮遊感もしっかり受け継がれているのです。
('90年代中期以降の(初期デスメタルとは質の異なる)「メロディック・デスメタル」とは、Michaelのギターフレーズだけみれば共通する部分が確かにあるのですが(アルバムラストの「Death Certificate」とARCH ENEMYの3rd『BURNING BRIDGES』1曲目とでは同じフレーズが使われています)、そうした「メロデス」におけるわかりやすくワンパターンな“泣き”の進行と、本作の(グラインドコア要素もある)複雑な音進行は別物で、同じ文脈で語られることが多いものの、やはり分けてみるべきなのではないかと思います。)
本作は、これまでのCARCASS作品が持つ個性的な旨みを損なわずに聴きやすく整理することに成功した作品で、ジャンルを問わず最も広い層にアピールする一枚なのではないかと思います。6曲目「This Mortal Coil」イントロの〈7+8+7+10(=32=8×4)〉フレーズなど、すっきり流れていく展開の中でヒネリを効かせる箇所も多く、聴き込む楽しさもしっかり備わっています。ここまでの4作の中では最も入りやすい一枚なのではないかと思います。

4thアルバムの発売後、Michael Amottの脱退・Carlo Regadasの加入を経て、CARCASSは北米での発売元であるColumbiaレコードと契約を締結。その上で新作の録音を行ったのですが、Columbiaは完成したアルバムのリリースを拒否。バンドとレコード会社の関係は次第に悪化し、新作が発売されない状況に耐えられなくなったBillはバンドを脱退してしまいます。これにより活動を継続できなくなったCARCASSはColumbiaからの契約を破棄され、Earacheレーベルに戻った後に5thアルバム『Swansong』を発表('96年)。一度解散することになりました。
この5thアルバムでは前作までのNWOBHM〜'70年代ハードロック志向がさらに推し進められていて、その上でこのバンド特有のひねられたアレンジや演奏感覚もしっかり発揮されており、CARCASSに先んじて「グラインドロック」路線に転換したENTOMBEDやXYSMAなどとはまた異なる仕上がりになっています。このバンドの作品の中では“刺さる”力が若干弱いものの、非常に興味深く聴き込める内容で、他のアルバムを一通り聴いた上で手を出す価値は充分あります。

こうして一度は解散したCARCASSですが、'07年には再結成してライヴ活動を開始。Ken Owenは'99年に患った脳出血のため本格的に参加することができませんでしたが、後任に優れたドラマーを加入させ、'13年には傑作6th『Surgical Steel』で見事な復活を遂げました。
(日本のメタル雑誌『Burrn!』の年間ベストアルバムを獲得するなど、作品だけでなくバンドとしても一気に評価されるようになった感があります。)
本作では「4th・5thアルバムの中間」と言える路線が圧倒的な勢いをもって追求されており、HOLY TERRORのような超一流のスピードメタルにも勝るとも劣らない素晴らしい内容になっています。だいぶNWOBHM色の強まった音遣いは4th以前のものとは一見毛色が異なりますが、独特の浮遊感あるヒネリは健在で、Bill Steerにしか出せない固有の感覚はより味わい深く熟成されています。過去作からは少し離れた作風なのでここから入るのは微妙な気もしますが、作品単体でみれば最も入門に適した一枚なのではないかと思います。

以上のように、CARCASSの音楽は70〜80年代の「ハードロック〜ヘヴィメタル」「ハードコア〜グラインドコア」全般の素晴らしいハイブリッドで、それを他にない音遣い感覚と個性的な演奏感覚により独自の高みに引き上げてしまったものなのだと言えます。その影響は絶大で、たとえば昨今のアメリカのハードコアが北欧の初期デスメタルシーンから多大な影響を受けていることを考えても(初期ENTOMBEDや初期DISMEMBERをそのままなぞったようなBLACK BREATHの諸作などが好例)、直接・間接的に及ぼした影響には測り知れないものがあります。こうした流れを俯瞰するにあたっては最も重要なバンドの一つですし、このシーンが生み出した最高の音楽成果の一つとして理屈抜きに楽しめるものでもあります。ぜひ(入りやすい所から)聴いてみることをおすすめします。